須賀川特撮アーカイブセンター

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【調査研究活動紹介④】背景画家 島倉二千六氏の背景画の調査・デジタルアーカイブ(後編)

【調査研究活動紹介④】背景画家 島倉二千六氏の背景画の調査・デジタルアーカイブ(後編)

背景画の専門家であり「雲の神様」と称される島倉二千六氏が描いた背景画の数々が、当センターに収蔵され、その一部が一般公開されています。
当センターが参画・協力する「日本特撮アーカイブ」の2024年度の活動で、これら背景画の調査と保存(デジタルデータ化)が実施されました。前編の成果報告 に続き、後編では後世のクリエイターへ背景画の役割や使われ方を伝えるための調査・研究成果として、特撮映像における背景画の考察と特撮デザイナーの三池敏夫氏による直筆イラストによる解説、特撮の現場で島倉氏と仕事を共にした経験のある、樋口真嗣監督と尾上克郎監督へのインタビューをまとめました。

3 . 映像制作現場での背景画(映像制作者の目から見た背景画)

特撮関係者インタビュー
樋口真嗣(映画監督・特技監督・アニメ特撮アーカイブ機構 副理事長)× 尾上克郎(特撮監督・アニメ特撮アーカイブ機構 発起人)
聞き手:友井健人

——映画界に入られて、最初に衝撃を受けた背景=ホリゾントは、どんなものだったでしょうか。

尾上 『宇宙刑事ギャバン』(1982)の現場で、赤や黄色の極彩色の雲が渦巻く魔空(まくう)空間の巨大なホリゾントを実際に見て、これはなんなんだと。それまでも本編の現場で、部屋の窓外にビル街や森や、隣の家が絵で描かれたセットは頻繁に目にしていましたが、『ギャバン』で、映像の中で背景の占める面積は非常に大きくて、いかにその影響が大かと。青空だったら屋外だし、特殊な絵なら異世界になる。この脳の働きを、ここで初めて意識しました。それまでは背景は単に絵で、いわゆる「バレ隠し」的な認識だったのが、『ギャバン』で一気に重要性に気付きました。

樋口 映画『帝都物語』(1988)で、「すごいもの見ちゃった」という体験をしました。明治期の東京で、勝新太郎さんと平幹二郎さんが芝居をする抜け(背景)が不気味な雲のホリゾントだったのですが、照明部がライトを当て始めると、平面のホリゾントに描かれた島倉さんの雲に、たちまち陰影が出るんですよね。絵がすごいのはもちろん、照明とか含めたところで、単にホリゾントの絵じゃない、オブジェクトとしてもっとすごいものが出来上がる。とは言いながら、そこはホリゾントが高くない東宝のステージで、「いや、空が足りないじゃん、これどうすんだよ」と小生意気な目で見ていたら、ガラガラとガラスをはめた枠がキャメラ前に運ばれてきた。ホリゾントより上の空を、ガラスに描いて撮影する「グラスワーク」の手法です。そして本番になって。すごい技術だなと。

――背景画はそれ自体素晴らしい仕上がりでも、使い方でさらに生きるということですか。

樋口 やはり誰かが大胆な着想をすることで、背景が輝く瞬間ってあるんです。川北紘一さんが特技監督の『零戦燃ゆ』(1984)で、零戦とB-29の高高度の空中戦を表現する巨大な縦ホリ(俯瞰シーンを撮るために垂直に立てたホリゾント)や、矢島信男さんが特撮監督の『宇宙からのメッセージ』(1978)のエンディングだとか。
尾上 『宇宙からのメッセージ』のあれは勇気がいりますよね。あのシンプルな絵をエンディングで堂々と、延々と流すのは。
樋口 青い地球を帆船型の宇宙船が横切っていくんですが、そのセットは、ホリゾントの高い位置に、ほぼ下半分の地球がドンと描かれている。キャメラワークは横移動だけです。ところが、あの地球は丸く飛び出して見えて、今でも凄いと思う。実際は平面でしょう。
尾上 板です。平面です。島倉さんがホリゾントに描いた半球。ただ、かなり高いところで移動しているんですよ。
樋口 そう、普通だったら目高(めだか。目の高さ、すなわち水平のカメラ位置)でやっちゃうところを、煽って横移動させれば、歪みもあって立体に見えるっていう計算があるんですよ。それは矢島さんの発想なのかスタッフなのか、今となってはわからないけれども。
尾上 打ち合わせで決めていると思います。ホリゾントとカメラの距離が何間何尺だから、宇宙船のミニチュアはここ、フォーカスはここと逆算している。それと地球の中心はここというのも計算して、島倉さんに指示しているはずです。
樋口 そう、面に対しての雲の配置とかで、地球のセンターが見えてくる。それがレンズの歪みと相まって立体に見える。逆に失敗と感じるのが、『さよならジュピター』(1984)の木星です。むしろ木星がへこんで見える。どうしてああなったのか。
尾上 ライティングかな。地球や惑星のライティングって、円形にまずライトをポンって当てて、それからライトに枠をつけて、境界の明暗や淡さを、細かく調整するんです。 そうやって星が大気に包まれている空気感や立体感を作り出す。

――背景画は単に大きな絵を使った技術ではないのですね。

尾上 違います。『魔界転生』(1981)で画面の奥からグーンと迫ってくる暗雲。立体的で遠近感がありますが、微速度撮影したスモークではなく、絵です。縦長のホリゾントに雲が描いてあるんです。それをアクリルの半球のミラーに映して、移動車を使って撮影するんです。そうすると、雲が歪みながら動いて、湧き出るように見える。たぶん、考えたのは操演の鈴木昶さんです。「鏡を使ってこうやれば撮れるんじゃないか」というアイデアで。それで、島倉さんが「こう描けばいいのかね?」と探りながら描いた、歪む前提の不思議な雲でした。
樋口 怪獣映画で、青空に普通に浮いている雲も、あんな雲は、自然界にはないんですよ。でも、映画の中では自然で、あるようにしか見えないですよね。しかし、本物の雲を撮ってきた写真で構成すると、何だか意図が出ちゃうんです。
尾上 そう、探してきた雲を入れても、ハマり過ぎて、妙に狙った感じになってしまう。島倉さんの雲は、それがない。主張しているようで、あんまりしない。それにライティングで表情がつくように描かれている。あとでコントロールすることまで考えて描くって、やっぱりすごいですよね。

――日本でホリゾントを最初に使ったのは、戦前のカメラマン時代の円谷英二さんと言われています。円谷さんは他社から背景の技術者を引き抜いたという話もあって、背景を非常に重要視されていたようですね。

尾上 円谷さんが戦前に考えた「ホリゾント法」の概念図が残っていますが、それを見ると雲の表現は絵ではないんです。雲を描いたガラスに光を当てて、白いホリゾントに雲の影を映して、その手前にパースを付けたミニチュアを置いて、また手前に本物のセットを置いて、役者さんが芝居をする。

樋口 そうやって円谷さんは、画を構成する要素をバラバラに考える方だったんですね。

尾上 円谷さんの書き残した資料には、予算がない中で、どうやってセットを広く見せるか色々と工夫したと書いてある。それで、近景・中景・遠景といった、後でいうレイヤーの分け方をしている。今のデジタルでやっている我々と同じ概念を、既に持っているんです。

樋口 特に戦中に撮った作品は、空中戦のある戦争映画で、飛行機の移動感をどう見せるかという時に、まず限界にぶち当たるのが、セットの中で飛行機を飛ばさなきゃいけないっていうことで。限られた空間で移動感を加えるためには、雲を動かすしかない。『加藤隼戦闘隊』(1944)を見ても、グラスワークなど、他の作品で見ない雲の表現がいっぱいあるんです。明らかに本物じゃないのはわかるし、うまくいってないのかもしれないけど、どうやって何を作ろうとしていたか意図や片鱗が見えて、興味深いです。

――背景という技術は日本で特に発展した面や、日本独特の表現というところはあるでしょうか。

樋口 特に日本独自ということはないと思います。イギリスの『サンダーバード』(1965)は被写界深度の考え方は日本とは逆ですが、移動の表現に回転バックの空などの技術を駆使しているし、切り出しという山や建物を描いた板を遠景に建てる手法も『ブレードランナー』(1982)のビルで使われている。遡れば、サイレント映画時代の特撮映画で、ジョルジュ・メリエスが撮った『月世界旅行』(1902)は、特撮とされていることがほとんど背景の技法なんです。舞台の書割を動かすという、特撮めいたことがフランスで始まっている。その空間でしか見せられないものをどうやって拡張していくか。のちの作品もみんな延長線上にあるんです。

――樋口監督が監督し、尾上監督が監督補・特殊技術統括を務めた『巨神兵東京に現わる』(2012)は、島倉さんの背景が大きな役割を果たしていますが、どのようなオーダーをされましたか?

樋口 こっそりですけど、地球が滅亡する話じゃないですか。自分としては、映画『ノストラダムスの大予言』(1974)で島倉さんが描いた天変地異の空のイメージでした。

――島倉さんにはイメージをどう伝えたでしょうか。

樋口 言葉数が多いと、まだ固まってないと思われるから、短く端的に言ったと思います。
尾上 あの時は、美術監督の三池(敏夫)さんのイメージ画を見せました。綿で作ったキノコ雲を動かすので、その背景になる燃えた空です、と。
樋口 呆れておられました。「雲を綿をでやるの?」。
尾上 どのあたりから撮るのかは盛んに気にされていました。綿のキノコ雲の大きさと、位置と、背景からの距離など、詳しく確認されて。あまり絵が大きくないから。カメラマンも交えて、緻密に計算しました。

――製作途中や完成した絵に意見することはありますか。

樋口 あります。たとえば構図から背景をはみ出させるか、中に収めるか。たとえば縦にキャメラが上がる構図だと、背景にずっと情報があると続きが見たくなるから、自然に終わらせるためには、雲が減ってきたところでキャメラを止めたい。だから背景のフレームの上の方は情報量を多くせず、続きが見たくならない程度に、少し柔らかくしてくださいとか。

――今は大きな背景を使った特撮作品は、かつてほどは作られないですが、背景という技法の今後についていかがでしょうか。

樋口 背景が最も必要とされた時代と相まって、島倉さんの一代限りの技術というところがあります。しかし、受け継がれていくんじゃないでしょうか。
尾上 絶対どこかで必要になるでしょう。たとえば樹脂幕のターポリンに、CGで描いたデータを印刷して背景にするっていう手法はポピュラーで、要は人間がその場で描くのか、デジタルで描くのかの差はあるけれど、背景という手法はなくなっているわけじゃない。島倉さんのようなアーティストが現場で描く背景画が、求められる機会はそう多くはなくても、描ける人は絶対必要だと思います。

――このたび、島倉さんがかつて手掛けた背景画でデジタルアーカイブを行いましたが、その価値や意味はいかがでしょうか。

樋口 島倉さんの背景が使われた作品は数あれど、そのノウハウは、今もわかる作品もあれば、今や不明の作品もある。うまくいったヒントや失敗の理由は、絵の中に隠されているはずです。それを読み解くことは大切で、それがアーカイブの最大の意味。たとえば背景画のサイズは大小様々ですが、ひとつひとつ、なぜそのサイズで描かれたかは理由があるんです。現場にいたスタッフが今もいればわかるけど、いなければわからないこともある。絵から読み解くしかない。

――わかれば今の現場でも活用できるということですか。

樋口 そう、読み解くことで、自分たちの仕事にとってのプラスになる。それは絶対にあります。
尾上 本当は、背景でもなんでも、各時代の技法は、そのものを残していかないと、次の時代、何もなくなっちゃってからでは取り返しがつかない。残っていれば、1回見つめてから、また1回戻ってくることもできる。なんでこんなでっかい絵を描いたか、どういう手法で撮られたか、深掘りしていくことで、いろいろな技術の繋がりが見えてきて、「ああ、なるほど」とわかると、また新しい技術ができる足掛かりになる。積み重ねですからね、全部。

――データ化した背景画をご覧になって、いかがでしょう。

尾上 拡大すると、案外、細部が粗い。誰もが驚くと思うんです。しかし作品では粗さはまったく見えない。そこはすごく不思議です。
樋口 星空だってびっくりします。星の光点ひとつひとつ、こんなに何色も変えて描いているのかと。謎を解いた時の驚き、喜びみたいなものもあるわけです。こうやっていたのか、という。
尾上 こういうことは実はすごく大事で、デジタルの背景で細部を緻密にすると、なぜかリアルに見えなかったりする。そこでアナログの背景画に倣って、粗くしたり、使う色を減らすとリアルに見えて、なるほどって思う。だから残しておくのは、すごく大事なことじゃないかと。
樋口 そう、全員が分かる必要はない。ないけれど、本当にそういうのを極めたい人って必ず出ますから。10年に1人出るか出ないかでも、その人の疑問のヒントになる資料がアーカイブされていて、その人が研究して新しいノウハウに繋がれば、それだけで十分価値があります。

 


■島倉 二千六(しまくら ふちむ)背景画家■
1940年10月5日新潟県に生まれる。中学では木版画部に所属し数々の賞を受賞。中学校卒業後に地元の看板屋を経て上京し、独立プロダクション(中央映画撮影所)で背景スタッフとなる。1959年に東宝特殊技術課に入り背景スタッフとして各作品に携わる。1982年に独立し「アトリエ雲」を設立する。『ウルトラQ』(1966年)、『宇宙刑事ギャバン』(1982~83年)、『さよならジュピター』(1984年)、『まあだだよ』(1993年)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)、『犬神家の一族』(2006年)、『巨神兵東京に現わる』(2012年)などで背景として活躍。近年では舞台や博物館などでも活躍の幅を広げる。

 

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